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【京都の弁護士グループ】安保法制に異議あり!怒れる女子たちの法律意見書(※男子も可)

怒れる京都の女性弁護士たち(男性弁護士も可)が安保法制の問題点について意見するブログです。

【寄稿】日本国憲法の危機~ 弁護士 山下 宣

※山下宣弁護士にご寄稿いただきました!

 

  「憲法」は小学生のころから教わった記憶がある。
 国民主権基本的人権の尊重、平和主義が3本の柱だと。

  それから次に憲法に触れたのは大学の講義で、ゼミも憲法のゼミを選択した。

 憲法こそが法の大原則だと思っていた。

 司法試験受験の時、法の支配の原理を正面から理解でき、感動を覚えた。
 憲法は治世者を縛る原理であること、日本国憲法の立脚する民主主義は立憲民主主義であり、単純な民主主義ではないということだった。
 多数決によっても奪えないものがあるということに感銘を覚えた。

  

 昨年7月に内閣が集団的自衛権行使を容認する閣議決定をし、大きく報道された。

 そして、今年になり、集団的自衛権行使を前提とした安保法制が審議され、7月にはついに法案が衆議院を通過したわけである。

 言うまでもなく、集団的自衛権行使容認論および安保法制は、日本国憲法への挑戦である。

  

 憲法9条集団的自衛権を容認するものでないことは明らかであろう。
 9条1項は、「武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」と定めているからである。

 

 集団的自衛権とは、他国間の戦争について、一方の国に加担して戦争をすることである。
 これに「自衛権」という用語を用いること自体不適切である。
 少なくとも、個別的自衛権にいう「自衛」とは異質の概念である。
 我が国が攻められているわけでもないのに武力行使を認めるからである。
 集団的自衛権憲法9条1項に違反する。

 

 ところで、安保法制に対する賛成派の根拠の一つとして、国際法集団的自衛権が容認されていることが挙げられているが、そのことと、日本国憲法のもとで集団的自衛権行使が容認されるかは、まったく別個の問題である。

 

 つまり、集団的自衛権行使を容認することは、実質的に憲法9条1項の改変であり、これは憲法の改正手続を経ずにはなしえないことである。

 私は、先に挙げた3原則が憲法の基本原則であり、9条1項の改変は、憲法改正の限界を超え、許されないと考える。

 そうであるのに、時の内閣の解釈で集団的自衛権を認めるということは、憲法改正の限界といった論点をひとまず置くとしても、まったく問題外の話である。

 政治的多数決をもっても人権を奪えないのと同様、日本国憲法の基本原則の一つである平和主義を変容させることは許されない。

 

 私は、憲法の意味するもの、一言でいえば法の支配に感銘を受け、憲法を得意科目として法曹となった。

 いま、国会で起きていることは、過去に前例のないほどの憲法をないがしろにする動きである。

 私は、この愛している憲法を汚そうとする動きを許すことができない。
 私一人でできることは僅かであるが、この半年取り組んできたように、京都弁護士会の仲間と一緒に声を上げ、チラシを配り、活動したい。

(弁護士 山下宣)