【京都の弁護士グループ】安保法制に異議あり!怒れる女子たちの法律意見書(※男子も可)

怒れる京都の女性弁護士たち(男性弁護士も可)が安保法制の問題点について意見するブログです。

【BOOK REVIEW】「あさが来た」と「反戦おばさん」

新しく、激怒女BOOK REVIEWの連載を開始します!
記念すべき第1回の紹介書籍は次の2冊です。

「小説土佐堀川 広岡浅子の生涯」(古川智恵子著、潮文庫
「超訳 広岡浅子自伝」(広岡浅子著、KADOKAWA/中経出版 

 朝ドラ「あさが来た」

NHKの朝のテレビ小説「あさが来た」が,「花子とアン」や「あまちゃん」を軽く抜き,高視聴率を続けています。

このドラマは,江戸末期の豪商-京都油小路出水の三井家に生まれ,大阪の老舗両替商に嫁ぎ,銀行や炭鉱を経営し,大同生命を興し,日本女子大学の設立に寄与した広岡浅子(1849年-1919年)をモデルにしています。

ヒロインが時代の制約を超えて成長してゆくこと,やさしい言葉で愛情と感謝を示してくれる夫,ヒロインを恋慕するハンサムな財界人の配置,友禅の美しい衣装など,ドラマには,女心を満足させる定石が,散りばめられています。

とりわけ,ヒロインが,単に「よく働く嫁」ではなく,「お家(いえ)」の帳面全部を見せてほしいと願い出て,得意のそろばんを駆使して家の経済全体を把握し,倒産を回避すべく大胆な決断を舅と夫に迫ったこと, 舅と夫も,嫁(妻)の願いと意見をさわやかに受け容れたということは,妻たちの共感と羨望を誘うのです。

 
婦人参政権と浅子

もっとも,原作(潮文庫:古川智恵子著「小説土佐堀川 広岡浅子の生涯」)を読むと,浅子の夫は,妻に頼って働かないぼんぼんから,自らも,紡績工場を経営するなど経済人に変貌を遂げていきます。
他方,浅子は,自分の侍女を夫の「妾」にし,妻妾同居するという道を選ぶのですから,実際は複雑で,あの時代に女性が働くことのたいへんさが想像できます。
それだけに,浅子は,女性の孤独と自立の困難さについてたくさんのことを考えたのでしょう。

浅子は,晩年,エッセイストとしても活躍するのですが,婦人雑誌などに,痛烈な思いを綴っています(これをまとめて現代語化してくれたのが,「超訳 広岡浅子自伝」です)。
たとえば,「ほんとうにりっぱな家庭を営んだように外見を装っている婦人方の中に,毎夜,空閨に紅涙を注いでいる人は幾人いるでしょうか。」と述べ,(悪い女性の弁護について)「男子はこの女の信条を悟ることはできない。女子を裁くには,性を同じくして,その心の底奥までも衝き入って同情し同感しうる婦人が必要である。」として,女性弁護士への期待を語り,「男子があまりわがままで,婦人の人格を無視し,国家社会を危うくし,人類の発展を阻害し,家庭の幸福を破壊せんとするから」英米における婦人参政権運動が過激になるのだと,英米の婦人達の運動を擁護するのです(同書より)。

また,浅子は,自分の別荘に,若い女性たちを集めて,合宿を行います。その中に,後に,女性の選挙権獲得運動や地位向上に活躍する,市川房枝(戦後の参議院議員)もいました。
浅子は,市川房枝に,「自分のことだけ考えてはあかん。日本の女性全体の幸せと地位向上を考えなあかん。志を同じゅうするものが集まって運動を起こすことや。家の中だけではのうて,外側から女性の立場を変えていく。」,「うちが実業家になったように,女の政治家も出てきてほしい。」(同書より)などと語り,強い影響を与えたのです。


反戦おばさん」

さらに,浅子は,晩年帰依したキリスト教の観点からだけではなく,経済人として養った実際的観点からでしょう,戦争がいかに無駄で不幸を誘うかを見抜き,世界の平和を訴え続けます。

人類の幸福のためには,「剣劇を振るって,尊い血を流し合うことを理想とする軍国主義を離れ」ることが大切だと書き,「中国に対する日本の態度」は,「無尽蔵の天産物を掘り出そうとか,土着の人々の権利や土地を我が物にしようと」焦り,「まるで高利貸しのように不親切なことが多」いと批判し,「中国内地に入り込む日本人の多くは野心満々の男」だと言います。
また,元来男子は,「一面において進歩的,破壊的性質」,「一度言い出したことは」「途中で自分の議論が悪いと気づいてもどこまでも主張を貫こうとする性質」を有し,「美しい同情心」と「講和的な性質」を持つ婦人の手によってこそ平和事業も完全なものとなる,軍国主義よりも民主主義こそが婦人にふさわしいものだと説いたのです。

浅子がこれらのエッセイを書いたのは,第一次世界大戦中から終了直後のことですが,日本が戦争への道を進んでいこうとする時代に,浅子が,「反戦おばさん」だったことにも,「びっくりぽん」なのです。
しかし,浅子が生きたのは,まだ,戦争批判を口にできる時代だったのであり,この後,少しずつ言論の自由がなくなっていく時代を見ないで,浅子は闘いの人生を終えたのです。

 

                        (弁護士山下信子)