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【京都の弁護士グループ】安保法制に異議あり!怒れる女子たちの法律意見書(※男子も可)

怒れる京都の女性弁護士たち(男性弁護士も可)が安保法制の問題点について意見するブログです。

【寄稿】砂川判決についての安倍内閣の解釈~弁護士 山﨑 浩一

鴨川法律事務所の事務所報「かもがわ」に掲載された原稿を、山﨑浩一弁護士のご承諾を得て転載させていただきました!

砂川判決についての安倍内閣の解釈

政府解釈への違和感

 衆議院憲法調査会で有力な憲法学者三人が集団的自衛権憲法に違反すると言明したことについて、自民党幹部が憲法解釈を決定するのは最高裁判所であり、砂川事件最高裁判決は集団的自衛権を合憲としていたと述べるニュースを見て、大学で憲法を学んだ身としては、驚いて判例を読み直しました。
 この事件は、1957年7月、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に立ち入ったとして、日米安保条約に基づく地位協定に伴う刑事特別法違反で起訴された事件です。

伊達判決
 東京地方裁判所(裁判長伊達秋雄)は、1959年3月30日、次のように述べて全員無罪の判決を下しました。
 「憲法九条は、侵略的戦争は勿論のこと、自衛のための戦力を用いる戦争及び自衛のための戦力の保持をも許さないとするものである」「わが国に駐留する合衆国軍隊はただ単にわが国に加えられる武力攻撃に対する防禦若しくは内乱等の鎮圧の援助にのみ使用されるものではなく、合衆国が極東における国際の平和と安全の維持のために事態が
武力攻撃に発展する場合であるとして、戦略上必要と判断した際にも当然日本区域外にその軍隊を出動し得るのであつて、その際にはわが国が提供した国内の施設、区域は勿論この合衆国軍隊の軍事行動のために使用されるわけであり、わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ虞は必ずしも絶無では
なく」「指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、憲法九条によつて禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、憲法上その存在を許すべからざるものといわざるを得ない」

跳躍上告と最高裁判決
 これに対し、検察側は直ちに最高裁判所へ跳躍上告し、最高裁判所(裁判長田中耕太郎長官)は、同年12月16日、伊達判決を破棄し、地裁に差し戻しました。これに基づき再度審理を行った東京地裁(裁判長岸盛一)は罰金2000円の有罪判決を言い渡しました。

 最高裁は、日本に駐留する米軍が戦力不保持を定める憲法九条に違反するかについて、憲法九条が戦力の不保持を規定したのは、日本が戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると述べ、憲法九条「二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」としました。
 そして、「本件安全保障条約は、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判
断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものである」との統治行為論の立場を採り、米軍の駐留は、一見極めて明白に違憲無効であるとは認められないとしたのです。
 最高裁は、本件安保条約の目的は、日本と極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることにあり、日本が米軍の駐留を許容したのは、日本の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないと述べており、あくまでも安保条約と駐留米軍の違憲性についての判断にとどまっ
ているのです。
 僕が大学時代に教科書として読んでいた「憲法」(橋本公亘)を引っ張り出して読み直したところ、砂川判決は、外国の軍隊は日本の指揮、管理権を行使し得ないのだからが憲法が禁止する戦力には該当しないということと、日米安保条約のような高度の政治性を有する問題は司法判断にはなじまないと言った判決として紹介されており、集団的自衛権を認めたものとはされていません。

アメリカの介入
 その後に明らかになったところでは、伊達判決を受けて駐日大使は日本の外務大臣最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官田中と密談したりしていました。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、一九六〇年に予定されていた条約改定に支障となるおそれがあったためでした。

政府見解の変遷
 この判決後においても1972年の政府見解は結論としては「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としました。集団的自衛権は我が国が攻撃されていない場合であり、自衛のための必要最小限を超えるもので憲法上禁止されているという論理に基づくものでした。
 しかし、あらためて最高裁判決、特に田中長官の次のような補足意見を読むと、今の自民党と同様の意見をもっていたように思えます。
 「一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち他衛、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従つて自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて
義務を負担しているものと認められるのである。」

 田中耕太郎と雑音発言
 田中長官は広津和郎氏の「松川裁判」など冤罪判決に対するジャーナリズムや世論の批判が激しいときに、最高裁長官として高裁長官や地・家裁所長に対して「世間の雑音に耳を貸すな」と訓示した人物です。この訓示はうわべは個々の裁判官の独立心を鼓舞するような内容ですが、最高裁判所による人事統制が行われている裁判所内部においては、仮に裁判官が信念に基づいて下した判決が世論と同じ結論であれば、最高裁判所からは世間の雑音に耳を貸したと思われ、不利な処遇を受けることを危惧させる効果を持つのではないでしょうか。

伊達判決の輝き
 亡戒能通孝教授は、このような最高裁判決は「無理押しのない限り国会でも通用しない」と述べられましたが、今はまさに無理押しが通用しそうな状況です。
 与党の政治家は、反対意見について平和ぼけとか国際社会の現実を直視していないといいます。しかし、伊達判決も憲法の示す安全保障のあり方についての次のような見解を示していましたが、私には平和ぼけの見解とは到底思えません。難しい国際情勢の今だからこそ、伊達判決が輝きを放っているように感じられます。
 憲法は「消極的に諸外国に対して、従来のわが国の軍国主義的、侵略主義的政策についての反省の実を示さんとするに止まらず、正義と秩序を基調とする世界永遠の平和を実現するための先駆たらんとする高遠な理想と悲壮な決意を示すものだといわなければならない。」
 最高裁統治行為論を述べる理由の中で、安保条約についてどのような立場を採るかは「一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。」と述べています。
 安倍内閣が国民の政治的批判を無視して強行しようとしていることは最高裁の予定した国家のあり方に反するものであろうと思えてなりません。

 

 (弁護士 山﨑浩一)

 

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